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ラピスラズリの残像03
モノクロの君は優しく微笑んでいた。
◆
ーー瀬田先生髪切ったんやって。
朝のショートホームルーム前、クラスメイトの一言が耳に入る。
「失恋かなあ」
「でも似合っとったよ」
瞬間、角名に漫画を貸した日の先生が甦る。
ーーみんな周りに年が近い大人がいないから私が良く見えちゃうんだよ。実際は………。
自嘲気味に放たれた投げやりな言葉と、甘ったるい香りを纏いながら煙を食む姿が脳内に浮かぶ。
「悪い。俺ショートホームルームサボるわ」
角名に告げ、踵を返して走る。向かう先は体育館裏、あの甘ったるい香りの漂う場所だ。
「ホームルーム始まってるよ。早く帰りなよ」
耳のあたりまで髪を短くしたその人は紫煙をくゆらせながら遠くを見ていた。
ラピスラズリの瞳は、遠く、濁っている。
「髪切ったって本当やったんですね」
絞り出した声はありきたりな台詞しか言えなくて。
「うん。似合う?」
「似合ってはりますよ。でも俺は長い方が良かったです」
内向きに緩く弧を描く髪も、瑠璃のような瞳も、白い肌も全てが均整がとれていて美しいはずなのに。
ーー内緒。
そう言って悲しく笑った顔が頭から離れない。
すとんと流れるように伸びた黒髪を所在無さげに束ねる白い手が、白魚のような細く長い指が好きだった。なんてありきたりだろうか。
「治くんは…………どうして…………」
そう呟いて悲しく微笑んで、先生はそっと目を伏せた。ぽたりぽたりと雫が床を彩ることを俺は無視できなかった。
「失恋で髪切ったって本当ですか?」
ハッと顔を上げたラピスラズリと視線がかち合う。
「そう………だね。もう、誉めてくれる人がいないから、切ったんだ」
「誉めて、くれる人………」
「治くんみたいに優しい人だったよ」
そう言って先生は再びタバコに火をつけた。
「私ね、ハーフなんだけど、ずっと目の色が違うこととか、みんなとルーツが違うこととかが嫌だったの。それを肯定して、私に付加価値をつけてくれたのが彼。良い人だった」
青に柔らかい光が灯る。噛み締めるように笑う先生は今までに見たことのない顔をしていた。
紅潮した白い頬、頬にかかる波打った黒い髪、深い優しさを湛えた瞳にゆるゆると弧を描く唇。ーー女の顔だった。
「私たち、辛いときも楽しいときもずっと一緒にいたけど、特に関係に名前はつけなかったんだ。好きとは言わなかった」
それでも毎日安心できたし、幸せだったよ。
煙の後に吐き出された言葉はとても穏やかだった。
「その人とはもう別れはったんですか?」
ふと沸き出る疑問。この美しい青を涙で濡らす理由はなんだったのだろう。
「……………別れたよ。去年の昨日。自殺したんだ」
先生は、甘い香りを纏わせながら、笑っていた。
◇
白と黒の縦縞の段幕。啜り泣く声。全身黒の衣装の人たち。その人たちが見つめる先にはモノクロの写真の中で微笑む君。
「兵助くんまだ若いのに……」
「どうして自殺なんか」
彼の死を嘆く声を背に彼の遺影と向き合う。
どうして、死んでしまったの。どうして、なにも言ってくれなかったの。私は頼りなかった? 私たち、ずっと一緒にいるんじゃなかったの? どうして私を連れていってくれなかったの?
焼香の前、どす黒い気持ちが心を渦巻く。
どうして? どうして。その気持ちだけが私を支配する。
兵助、どうして。無意識に目から塩辛い液体が零れ、嗚咽が漏れる。
「果歩子さん……」
兵助のお母様が寄ってくる。
「辛かったら、もう忘れても良いのよ」
優しくて残酷な言葉だと思った。
「忘れられません。彼は、今の私を作ってくれた人ですから」
だから、私は彼が背負わせた業を生きてゆく。私を憂き世に置いていった意味を知るために。
◆
「もうこの話はおしまい。一限遅れちゃうよ。さっさと行きな」
紫煙をくゆらせた先生は赤くなった目で笑った。
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