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北さんと彼女の男友達

「彼氏持ちとも恋人のふりしないといかんのか。日舞大変やな」

血の気の引く思いがした。


糸山唄子はなんというか、感情の起伏が危うい女だと俺、豊海国周は思っている。男の散歩後ろを歩くような従順な女かと思いきや、自分の思い通りにならないことがあれば声を上げるし悔しがる。「静」だけでなく子供のようで未熟な「動」も持ち合わせている。その癖踊りは主張がなく、すんなりと役を引き受けるような、なんというか「誰にでもなれる、けれど誰でもない」踊りをする奴だ。役を作りこむ俺と違い、役を降ろす憑依型の役者だと思う。

「ねえ、周。聞いとる?」

メゾソプラノに意識をもっていかれる。

視線の先には怪訝そうな顔をした鳶色の瞳。

「………なんだっけ?」

「だから、 このシーンよよと泣いたふりをするか周にしがみついて泣くべきかどっちが良いかな、って」

若干不機嫌そうに返される。悪い悪いと答えれば、仕方がないといったふうにため息を返された。

「恋人が不当に別れるシーンだからな。でも唄の役は別れを知っているわけだし。かこち泣きするくらいでちょうど良いじゃね?」

今回のお役、俺と唄子は恋人役を演じることになった。俺が若君で唄が桜の精。恋する2人が結ばれて、桜の木の伐採で別れを告げられ、二人はどうする……!?、といった内容だ。まあベタといえばベタな内容の新作舞踊である。

唄子と舞台での共演は多々あるものの、恋人役はこれが初めてだ。「夫婦の役を演じるからには、平素夫婦を演じるべし」。ということで舞台の下でも恋人を模すことを決めた俺らはなにかと一緒にいることが多い。

「唄。明日なんだけど、昼用事があるから友達と食べててくれ」

飯を食いながら唄子に言う。唄子は小さな弁当をつつきながら

「また告白?」

と意地悪な顔をして言ってきた。

そう。俺はモテる。目の前のお嬢さん曰く、涼やかな目元と長い睫毛にかかるさらさらとした黒い髪にこざっぱりしたところに色気と粋があるらしい。そこに東京出身のタグがつけられているのだから珍しさも相まって余計にモテるのだ、と。別にモテることに悪い気はしなかったし、女子と付き合うのも芸の肥やしになると思って来る者は拒まなかった。飽きれば止めれば良いし、俺には次がある。そんなことを言ったら人間のクズだ、と唄に言われたのは良い思い出だ。

「そ。告白。……まあ断るけど」

嫉妬した?、といたずら気を込めて見れば、唄子は目をまん丸にして信じられへん……、と呟いていた。

「あの周が……。来るもん拒まん遊び人が……」

「いや今芝居があるから。恋人は唄だろ。さすがにそこまでの不義理はしねぇよ」

俺は芝居でこいつを恋する女にしねぇといけないから。

さて、こいつはなにをすれば恋をするかな。

そう思って彼女のミニトマトを摘まんだら怒られた。



「好きです」

体育館裏、甘ったるいタバコの残り香のする中言われたのは案の定、恋の告白。

「……あー。俺今大切な人いるからさ。気持ちは嬉しいけど応えられない。ごめん」

間違ったことは言っていないが、俺と唄子は仮初めの恋人関係。断る理由としてはいささか不誠実だっただろうか。

俺なんかじゃなくてもっと良い人いるからさ。なんて言葉をかければ、「あなたじゃなきゃダメなの」なんて返ってくる。

お。これは。なんとも芝居栄えしそうなセリフだ。アイロンできちんと伸ばされた髪は黒く長く、鳶色の瞳からは悲壮をはらんだ涙がこぼれ落ちる。ああ。そうか。この子ちょっと見た目が唄に似てるんだ。もっともあいつがこんな色をはらんだ涙を流せるかは別の話だが。

「すぐに諦めろなんて言わないけどさ。とにかく今は君に割く心がないんだ。本当にごめん」

普段ならここで涙のひとつも拭いてやるところだが、仮想と謂えど恋人のいる身。なにもせずにその場を去った。



「………ということがこの間あった」

とクラスメイトに報告する。お前のモテ話なんて聞きたないわ、と言いながら聞いてくれる尾白アランは良い男だと思う。尾白はただのクラスメイトだが、目が合えば話はするし、たまに飯も食べる。なんというかふらりと会って話すくらいの緩い付き合いを許してくれる度量のある男だ。優しいし。

尾白を見た瞬間この間告白されたことを思い出したので、告げてみれば拒絶の姿勢をされたわけだが。

「そういえば豊海がフるなんて珍しいな。好きな人でもできたんか」

ヨーグルトをすする尾白から半眼とともに疑問を受ける。

「いや。いないけど。今、日舞の方で恋人役やってるからそのせいで恋人ごっこしてる」

「恋人ごっこ!?」

「うん。夫婦たるもの平素から夫婦たるべしみたいな師匠の教えで、普段から恋人役してんの」

これがやってみると意外と難しい。なんせ唄は自己主張がない。

「普段からも役作りって大変やなあ。その相手の子は彼氏おらんの?」

「いないと思うぜ」

だって唄だし。色恋のイの字も知らぬ女だ。

「7組の糸山唄子っていうんだけど」

あの黒髪の長くて背の小さい。と付け足すと尾白の顔は青くなって、

「彼氏持ちとも恋人のふりしないといかんのか。日舞大変やな」

と言った。

血の気の引く思いがした。



それからすぐにトークアプリで唄子と連絡をとった。

<お前彼氏いんの?  なんで言わないの?>

<いやプライベートと日舞関係ないやん。だから……>

<平素から夫婦たるべしって言われてんのに!?!?  俺なんか身を削って色を会得しようとしてんのに?  バカなの?>

<バカちゃうわ。でも言わんかったことがこれだけ騒ぎになると思わんかったわ……。今日彼氏にも怒られた>

当たり前だろ。自分の彼女が他の男と恋人ごっこしてるだなんて。この彼氏は今日まで耐えていたのだから、よくできた男だと思う。

<それで彼氏って誰?  俺挨拶にいかなきゃなんだけど>

仮初めの愛の謝罪と許可を得に。

<7組の、北信介さん。バレー部の> 



毛先に向けて黒くなる白銀の髪、猫などの獣を想起させる縦に細く長く入った瞳孔。そしてなによりのこの無言の圧。

「はじめまして。糸山さんの恋人役やらせてもらいます。豊海国周と申します。この度は連絡差し上げるのが遅くなってしまい申し訳ございませんでした」

流れるようにセリフを吐く。声は震えていないだろうか。差し出した粗品のゼリーが日の光を浴びて輝いていた。

「……唄子から聞いた。役作りの一環なんやろ。俺も唄子から聞く前は浮気やと思うとったし。お互い様や」

むしろ唄子が世話になって……、と頭を下げられる。

「いやいや。こちらこそ……。北くんこそごめん。まさか唄に彼氏がいるとは思わなかったもので」

見た感じ北くんは折り目をきちっとつけるような堅物に見える。唄は彼のどこが良かったのだろうか。

「北くんは唄のどこが良くて付き合ってんの?」

あいつは超絶受け身箱入り娘(根暗)だぞ。もちろん踊りにひたむきなところは感心できるが、学校生活ではその点は見られないはずだ。

「………ふとしたときに悲しそうに細められる目とか、見た目通り世間知らずなお嬢様なとことか、ちんまいところとか……。俺があいつの知らない新しい世界へ連れていかな、と思わされるところやろか」

一瞬押し黙ってからゆっくり口を開いた北くんは、噛み締めるように言の葉を吐いた。金色の目に慈愛をのせて。

ああ。これが愛なんだな、と本能で思った。この人はたぶん唄が将来家の呉服屋を継がなければならないこととか、それで唄がなんとなく自分の進路を諦めていることとか、そういうことをわかっている。決められた将来と、その代わりに与えられた温室での生活をわかっていて、それでいて彼女を新しい世界へ引っ張りだそうとしている。

「でもあいつ自己主張しないし、一緒にいてつまらなくないですか?」

大丈夫ですか?  我ながらいやらしい質問をしたと思う。

「…………確かに唄子は自己主張せえへんし、俺がしたいことなんでも頷いてくれるけど……。あいつのちょっとした仕草で本当にしたいかしたくないんかわかる。雰囲気にも漏れとるっていうか」

あ。それはわかる。慣れてきたのか俺の前でははっきり言うようになったが、それでも唄の主張は一般の女子より薄く、反応が雰囲気で返ってくることがある。

「あいつの燻ってるもの全部、俺が引き出してやりたい」

良いことも。悪いことも。

そう言った北くんの目はまっすぐこちらを見据えていて。こういうところをきっと唄も好きになったんだと思った。


「今日北くんに挨拶してきた」

踊りの稽古の帰り道。こうして唄と2人で歩くのは、俺が中1で越してきてから最早恒例である。

「どうやった?  怒ってへんかった?」

「いやたぶんきっと怒ってたと思う」

突然知らない男が恋人の恋仲役です、役作りのため恋人ごっこしてます、なんて告げられて。きっと動揺もしていたと思う。

「でもそれよりも北くんが唄のことちゃんと好きなんだってわかって安心した」

唄の家のこととか。きっとこいつの清濁併せ飲んだ全てを受け入れて新しい場所へ連れていってくれる。

「唄。彼氏大事にしろよ」

この人はきっと長いこの先もお前を守ってくれるから。

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