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​北さんと嫉妬

最近気になる男がいる。恋愛的な意味ではなく、悪い虫的な意味で。まあある意味恋愛的なのだが。


  唄子と仲の良い男子がいる。そりゃ唄子だって人間だし、異性との交遊関係もあるだろう。それを抜きにしても距離が近しい男子がいるのだ。
  

豊海国周。東京からやって来た男で、クラスは唄子と俺とも違う三年五組。サラサラの黒い髪と目元に残る涼しげな色気が印象的だ。最も男の俺には彼の色気はわからないが。
 

「唄。飯行こうぜ」
 

今日もこうして豊海は唄子を飯に誘う。


「ん。ちょっと待って」
 

弁当箱を持った唄子は少し嬉しそうにはにかんで豊海の元へ駆けてゆく。さりげなく唄子の肩に手を回す豊海も、それをさも当然のように受け入れて、流れるように豊海の手の甲をつねる唄子も、その全てが、気に入らない。
 

喉に小骨がひっかかったような感覚を覚える。言いたいことがあるはずなのに、うまく言葉にできない。
 

心に違和感を抱えながら俺は唄子を見送った。


「信介、最近自分大丈夫なんか?」
 

とある日の昼休み、バレー部の三年生と昼飯を囲んでいたときだ。申し訳なさそうなアランがこちらを伺うような様子で訊いてきた。
 

「大丈夫、ってなにがや?」
 

「いや、7組の糸山ってたしか彼女やろ?  最近うちのクラスの豊海と一緒におるやん」
 

アランは中庭をちらりと見やる。そこには仲良く弁当を広げる唄子と豊海。よくよく見ると唄子は朗らかに笑い、ときに眉を潜めながら豊海と楽しく会話しているようだ。俺の知らない顔がそこにあった。俺の前では小さな花がほころぶような顔しかせんのに。あいつの前では柳眉を逆立てたりしよる。なんなん。なんなんや。
 

「信介」
 

大耳から制止の声がかかる。
 

「箸、折れるで」
 

どうやら俺は思っている以上に二人の関係を良く思っていないらしい。


 

夫婦の役を演じるからには、平素夫婦を演じるべし。
  

次の演目で恋人役を演じることになった私と国周は役作りのために普段から時間を共にすることになった。相手の挙動一つひとつを読みとって、呼吸を合わせる。相手の全てを皮膚で感じとれ。それが師匠の言葉だった。
 

「俺さ、よく師匠に唄を呼ぶときの動作に愛を感じないって言われるだろ?  目が冷めてて形式的だとか。あれがよくわかんねーだよなー」
 

俺そんなに冷めてる?、と卵焼きを加える国周。涼しげな瞳は目元に色気があり、睫毛は黒く、長い。
 

「まあ、確かに愛は感じられへんよね。そういううちかて胸元へ入り込むの違和感あってできへんし……」
 

役が恋人なのだから、接触が増える演技は多い。現実に恋人がいながら他の男と恋人の真似をするなんて、とか、恋人ともしたことがないことをするのか、とか、思うことはたくさんあるが、ここは役者。なんとしても乗り越えなければならない。
 

「役者としてのお互いに惚れ込むのが一番やと思うんやけどね……」
 

「そうだな。役者としての唄の良いところか……」
 

「うちは舞踊家としての周好きやよ?  普段ちゃらんぽらんやけど、役に対しては驚くほど真摯やし、この間の藤娘だって、女のうちが嫉妬するほど美しかったし………。女が嫉妬する女になれるのってすごい才能と観察眼だと思うよ。私は周のそういうとこが好き」
 

「唄………」
 

正面から言われると照れるな、なんて目を反らしながら笑う国周は、年相応の男の子だった。

 


「唄子。今日部活見てき」
 

朝教室で本を読む唄子に言う。唄子は和綴じの行書のような文体が連なった本を読んでいた。日本舞踊の台本だろうか。
 

「ええけど……。なんかあった?」
 

不安そうに見上げる唄子の髪をすく。黒い髪が触れては滑り落ちる。
 

「ちょっと言いたいことがある」
 

この美しい髪を、あの男も触ったのだろうか。そう思うと、腹の底から業が沸くような気がした。


 

部活終わり、着替え終えて携帯を見ると
 

<校門で待ってます>と唄子からメッセージが届いていた。
 

早よ行かな。自然と声が漏れる。同輩に一言かけた後、騒ぐ二年に釘を刺し急いで校門に向かった。

「あ。信介さん」
 

校門に背を預けた唄子がこちらを捕捉する。赤い玉簪に止められた髪が風になびく様が絹のようで美しい。
 

こちらに走り寄ってくる唄子を柔らかく見守り、手を取る。
 

「お前、俺以外に男おるんか?」
 

「えっ………」
 

ついて出た声は、思いの外冷たかった。
 

なんのことだろう、と狼狽える唄子の目にはうっすらと水の幕ができている。
「豊海とお前はどういう関係なん?」 
 

俺の知らない顔を見せよって。なんて女々しい考えが頭をよぎる。
 

「周?  国周とは躍りの仲間だよ。周が中一のときにこっちに越して来てから躍りの師匠が同じなんよ」
 

 ただの友達、と唄子は笑う。
 

「それにしては距離近ないか?  肩抱かれたり一緒に飯食ったり……」

 

 俺のしたいことを「友人」のはずの豊海がやってのけているのが気にくわない。
 

「それはね……。今度恋人の役をやるから………。平時から恋人らしくふるまえ、って言われてて…………。ごめんね。信介さん」
 

もし不安やったら、周に訊いてくれてもええから、と唄子は震える手でスマホを渡してきた。
 

「いや。豊海には直接訊くわ」
 

それよりも、新しい役が決まっていたこと、しかもそれが恋人役だったことをなにも言ってくれなかったことが腹立たしい。
 

「なんで新しい役が恋人やって言うてくれへんの?」
 

「ごめんなさい。信介さんそういうの嫌やと思って……」
 

「嫌に決まっとるやろ。舞台の上で他の男といちゃいちゃするなんて。けど、それよりなにも言うてくれへんほうが嫌やわ」
 

俺の唄子が知らない顔を他所に晒しているほうが。俺の唄子なのに。俺の知らない顔をする。まるで俺の知らない人のように。
 

「頼むからこれからはなにかあったときには言うてくれ」
 

お前の隣にいるのは、俺で良い。
 

すみませんでした、と小さくなる唄子の肩を抱き寄せる。他の男の跡を消すように。
 

さて帰るか、と帰り道に歩を進める。いまだに縮こまった唄子を回復させるのはどうすれば良いだろうか。それを考えながらそっと唄子の背をさすった。


 



EXTRA


「ねえ御厨さん。どうしよう。信介さんずっと怒ってんねん」
 

揺れる束ねられた黒髪。それを止めるのは少し珍しい歯車柄の簪。潤む鳶色の瞳には水の幕が張られ、声が揺れている。
 

「いや、どうって……。豊海との接触を抑えるか信介くんの理解を得るしかないんじゃないの?」
 

 廊下であった友人の彼女。お互い視界に入ると、あ………、と声を出し、会釈をして去るはずだった。
 

御厨さん、お願い助けて!!、小柄な大和撫子にお願いされて断れる人間はいないと思う。そして冒頭へ至る。

どうやらお嬢さんは役作りのため同輩と恋人ごっこをしているらしい。そしてそれを信介くんが気に入らないと。全く面倒くさい問題である。
 

「その恋人ごっこは信介くんじゃだめなの?」
 

「あかんの。信介さん舞台に上がらんし、踊れんし、身長違うしで、やっぱり相方の周がええんよ」
 

「………まあ、お嬢さんの気持ちも信介くんの気持ちもわかるけどね」
 

困ったなあ、と頭をかき思考を巡らせる。
 

「私からも信介くんに言っとくけどさ、豊海もモテるから誤解を呼びやすいんだよ。あと私彼氏がいますので今後とも誤解のなきように……」
 

涼やかな目の東京出身の色男と、黒髪が美しい大和撫子。この二人が並んで、しかも恋人のように睦まじくしているのだから嫌でも目を引く。きっと信介くんはそこが嫌だったんだろうな。
 

「じゃあ、今度会ったときにでも言っておくから。それじゃあ、お嬢さんはこれで……」 信介くんにも独占欲があるんだな、なんて考えながら、今回もまた痴話喧嘩の出汁にされそうな気がする、と思った。

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