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 つう、と一筋垂れた涙に、ぱちりぱちりと青に近い薄紫の気泡が弾けた気がした。瞬時に花の芳香が漂ってきて。ああ、これ茉莉花だ、と思った。

 

 

 君の涙は茉莉花の味がした。

 

 

 色素の薄い髪が、五月の風に揺れている。机に伏して一生懸命小さく丸くなっている体がなんだか少しおかしくて、少し笑ってしまった。

 

 隣の席の野沢くんは、強豪バレー部のスタメン、身長181cmの長身(バレーでは普通なのかな?)、エースは他にいるらしいが、エースを陰から支えるオールラウンダー。人あたりも良く、誰とでも打ち解けられるような好青年だ。

 

 人あたりの良さに例に漏れず、隣の席の私も挨拶をしたり、勉強でわからないところを訊き合ったりする仲である。友達というには遠く、知人というには近く、まさに「隣人」という言葉がぴったりな仲である。

 

 そんな野沢くんが今、隣で寝ている。

 

 時刻は昼休み、あと十五分で授業が始まってしまう。そろそろ移動しようとする人みちらほら見られる教室。あ。ほら。ドアの向こうに次の授業で同じクラスの子の顔が見える。私もそろそろ行かなければ。

 

 すうすうと寝息を立てる色素の薄い髪を見やる。日の光に照らされたそれは、絹糸のようにも見え、淡く光を放っている。耳の下で切りそろえられた波打つ髪が、五月の風に揺れている。風に乗って漂ってくる茉莉花の香りは彼の髪の香りだろうか。彼はお姉さんがいるのかいつも良いにおいがする。

 

 綺麗だな、と手を伸ばしかけ、止める。いやいや私なにやってるんだろう!?!? 相手は強豪スタメンの野沢くん。部活ヒエラルキーのトップに立つような人で。私のようなミジンコが触れて良い立場ではない。

 

 でもおやすみのところ申し訳ないが、そろそろ起こさないと野沢くんが授業に遅れてしまう。彼の次の授業は確かここから一番遠いところで行われるはずだ。

 

 時計の針は次の授業まで残り十分を指している。

 

 

「出、ほら起きろって」

 

 突如現れた影が彼の肩を大きく揺する。

 

 しばらく黙っていた野沢くんは途中から「ん“~~~~~~」と声を出し、起きるのに抵抗しているみたいだ。ちょっとかわいくて笑ってしまった。

 

「ほら、野沢くん、起きて。移動教室遅刻しちゃうよ」

 

 ……思わず声をかけてしまうくらいには。

 

「……なんだよ愛吉。うるせえなあ……」

 

 目をすがめながら起きた野沢くんにはこの景色がどう写っていただろうか。おそらく愛吉くん?は笑みを浮かべて、私は苦笑を顔に貼り付けながら、不機嫌そうな彼を見ていたのではないかと思う。

 

「起こしたの俺じゃないよ。彼女」

 

 さらっと愛吉くん(バレー部の主将の人だ……)に彼を起こした罪をなすりつけられる。いやでもここで起こさなかったら彼は遅刻確定なのだから罪ではない、はずだ。断じて罪ではない。

 

「野沢くん、ごめんね? でも本当に遅刻しそうだったから……」

 

 なんやかんや謝ってしまった。大して仲良くもないのに起こしてしまって、彼は気を悪くしていないだろうか。

 

 窺うように彼を見上げれば、彼は右目からつう、と涙を流しながら、

 

「**さんだったんだ。んーん。平気。ありがとね」

 

と朗らかに笑った。

 そのときつう、と眠気の残滓の涙が野沢くんの頬を駆け落ちて。弾けて消えた。

 

 ぱちりぱちりと弾ける匂いを残して。

 

 青に近い薄紫の香りがした。あ。これ、茉莉花だ。野沢くんの香り。

 

「**さん? 大丈夫?」

 

 茉莉花の黒曜の瞳が視界いっぱいになる。瞬間充満する茉莉花の香りに酔いそうになる。

 

「っ、うん。大丈夫大丈夫。……遅刻しちゃうね。そろそろ行こっか」

 

 諏訪くんと野沢くんと私で一緒に教室を出る。開けられた窓から風が吹く。爽やかな五月の風が私たちを包み込む。茉莉花が仄かに漂う。

 

 穏やかな香りが私の鼻孔をくすぐる。この香り、落ち着くな、と思いまながら隣を歩く。この隣を歩いていられるのもあと半年ちょっと。少しでも堂々と彼の隣を歩けると良いと思った。

 

 

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