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​邂逅

だって焦凍は俺がいないとダメじゃん。

 個性がなければ、愛されない。

 

 

一、

 

「個性がないのかもしれませんね」

 蛍光灯を反射したガラス越しに見える哀れを含んだ目線。淡々としたようで、溜息が漏れているような声。息を飲む母。呼吸を止めたおれ。たった三人が、この世界にいるような気がした。

 

 

◇        ◇

 

 

 「個性」と呼ばれる特殊能力が誰にも備わった超人社会。種類は様々だが、一般的にそれは四歳ごろ発現されるといわれている。

 子を持つ親なら誰しもが、どちらの個性を継ぐのか・ヒーロー向けの個性だと良いね、などと会話を交わす社会。それがおれ、佐藤伶人の生まれた世界だった。

 そんなおれは、四歳と八ヶ月月経った今でも、個性が発現していない。発現の遅さを心配した母が病院へ連れて行った結果が「無個性かもしれない」。この結果を聞いた母は、あのときなにを思ったのだろうか。

 

 

□        □

 

「伶人、個性がなくてもね、お仕事はちゃーんとできるのよ。お母さんもね、個性と関係ない仕事してるし。ヒーローだけがお仕事じゃないの。だから大丈夫よ。個性がなくてもあなたはあなた」

 病院から帰った次の日、お母さんはそう言っておれを抱きしめてきた。

 でもお母さん知ってるよ? 病院へ行った日の夜、お父さんとおれが無個性のこと残念がってたこと。だっておれ見てたから。お母さんは気づかなかったかもしれないけど。

『無個性なのか』

『もったいないわね。せっかくこんな社会に産まれて来たのに』

 もったいない、ってなに。個性を持ってればもったいなくなかったの? 個性があれば、お母さんたちは喜んでくれた? おれはダメな子なの?

「……うん。そうだね。個性がなくてもなれるものいっぱいあるよね。お母さん、がんばるよ、おれ」

 でもね、お母さん。個性が必要ない幼稚園の先生も、動物園の飼育員さんも、それに合った個性があった方が絶対有利だと思うんだ。個性のないおれは見向きもされない。負けちゃうよ。

 「個性がない」ということは、それだけで無力なのだと嫌でも思い知らされた。

 個性がなければ、お父さんもお母さんもこっちを向いてくれないんだ。

 

 

 ……なんでだろう。なんか、心が空っぽだ。

 

 

 心の空っぽは日に日に大きくなっていった。

 太陽が青々と茂る木の葉を照らす季節。「熱中症にならないように帽子被ろうねー」、の先生の声と共に駆け出す園児たち。最近のおれは遠くから彼らを眺めることが習慣になりつつあった。

 個性を手にしたかれらの遊びは日に日に派手になってゆく。指先から炎を出す子・空気中の水分を集めて渦にして遊ぶ子・指先からキラキラを出す子……。様々な個性が折り重なって、遊びは時に華麗に時に苛烈になってゆく。ある意味個性を持て余し、ひけらか

したがった結果だろう。

 ……良いなぁ、それ。

 皆が持っている個性はおれにはキラキラ輝いて見える。皆その個性で、すごいね、ってチヤホヤされて、可愛がられて。みんながもってるそれをおれはもってないんだよ。

 ぼうっと園庭を眺めていたら、一人の園児と目が合った。あ。あの子、キラキラ出す子だ。

「れいとくーん!! れいとくんもいっしょにこせいつかってあそぼうよ」

「ありがとう。でも、ごめんね。おれ、個性ないみたいだから……」

 あっ……、っとバツの悪そうな顔をして去ってゆくあの子。もうあの顔も、個性の質疑応答も飽きるほどやってきた。

 個性を使って、ってなんだ。この世界には個性があることが常識で当たり前で、世界の理で。誰も疑問を抱かずに生きているんだ。あの子のように。じゃあ、個性のないおれはなんなんだ。世界のはみ出し者? この世に存在しちゃいけない生き物?

 ――みんなから個性が消えちゃえば良いのに。

 個性がある子を見るといつもそう思う。だからそういうときは、絵本を読むことにしてるんだ。……最近はそれも疲れてきたけど。

 幼稚園にある絵本はお姫様が最後に幸せに笑うオーソドックスなお話から、最近はヒーローが格好良く敵を倒す話なんかも増えて来た。

 絵本の中のヒーローは、最後には必ず敵を倒して、街の皆に称えられる。皆が涙してヒーローの名前を呼ぶんだ。それでハッピーエンド。

 何度も何度も読んで結末まで覚えた絵本のヒーローの顔を指でなぞる。

画風の違う彼も、個性があるからこんなにも強く格好良いのだろうか。――そして、個性があるから、皆に頼られて、振り向かれて、チヤホヤされるのだろうか。個性のないおれは、そんなことされたことない。

 お父さんもお母さんも、幼稚園の先生も、友達も、皆が個性のないおれを置いて行く。どうしたらおれは皆に追いつける? 皆がこっちを見てくれる? ねぇ、どうしたら。

 ヒーロー向きの個性を持つ友達も、個性を振りかざすヒーローも敵も、皆個性があるから、あんなにも生き生きと輝いて見えるんだ。

 皆大嫌いだ。皆おれを見ない。

 

 

 ――個性という特別の上に立つ人たちなんて大嫌いだ。

 

 

■        ■

 

 

二、

 

 個性があったって、人を助けられない。

 

 

 頭の中央で分かれた赤と白の髪。左右で違う翡翠と黒曜の目。兄さんとも姉さんとも違うこの二つの色は、お父さんとお母さん、二人からもらったものなんだって。お母さんが言ってた。

 初めて個性が出たとき、お父さんもお母さんも、すごく喜んでくれたのを覚えてる。

 ……でも、もう嫌だよお母さん……僕……、お母さんをいじめる人になんてなりたくない。

 

 

 個性が現れた四歳の日から、僕は他の兄姉と一緒にいられなくなった。そしてお父さんとの「しゅぎょう」が始まった。

 お父さんは「せいこうさく」である僕をひどく喜んで、手を引いて道場へ連れて行った。「オールマイトを超えるため」・ヒーローになるために強くなるのが必要だ、って。

僕はオールマイトみたいなヒーローに憧れてたし、ヒーローにもなりたかったから、良かったのかもしれない。

 なにも知らないあの時までは。

 

 

 日を増すごとに「しゅぎょう」は激しくなっていった。幼稚園から帰ったら、お父さんに手を引かれて道場に行く。途中、窓から見える兄さんたちは楽しそうにボールを蹴っていて、ちょっとうらやましかった。だって僕、幼稚園の子ともボール遊びしたことないんだ。

 「せいこうさく」の僕はオールマイトを超えるために強くならなくちゃいけなくて。お父さんに蹴られてお腹が空っぽになっても、立て、って言われるんだ。お父さんはいつも怖くて、僕じゃない誰かを見て、怒るんだ。

 お父さんに蹴られて、吐いて、痛くて涙が止まらなくて、体中から水分がなくなっちゃうんじゃないか、って思ったとき、いつもお母さんが助けてくれるんだ。「やめてください! まだ五つですよ……」って。でもその声も震えてて、お母さんがいじめられてるみたいで。僕はそれがすごく嫌で、怖かった。

 僕、お父さんみたいになりたくない。お母さんをいじめる人になんてなりたくないよ。

 ……オールマイトみたいなヒーローなら、お母さんを助けられるのかな。

●        ●

 

 

 子を憎むことが母親失格だとしたら、私はもう焦凍の母親じゃない。

 

 

 体に熱が籠りやすい個性の夫と、その逆の個性の私。その二つを持って生まれたのが焦凍だった。夫はオールマイトを超える完成品・成功作だ、と喜んでいた。個性を意図的に掛け合わせた個性婚から生まれたこの子だけれども、私は血に囚われることなく、好きなことをし、好きなように生きてほしかった。

 なのにどうして、焦凍の……あの子の左側が時折とても醜く思えてしまうの?

 息子が、焦凍が、日に日に夫に似てくる。

「オールマイトを超える」。これだけを目的とした憎悪にも憤りにも似た人の形をした塊に。あの子を見ていると、あの忌まわしい炎が私を焼いてくるように思える。息子なのに。私が産んだ子なのに。もうこれ以上、あの子が憎しみに染まった目をするのなら、血に囚われた生き方を強いられるのなら、育てない方が良いのではないか。

 私の息子なのに。私が母親なのに。母親の私が、助けなければいけないのに。夫に蹴られ飛ばされ、それでも見返す焦凍の目が、酷く恐ろしく、存在さえも醜く見えさせる。

 あんな恐ろしい生き物が世に出てしまうならば、いっそこの手で終わらせてしまった方が良いのではないか。

母親なのに。母親なのに。私はあの子を育てるのが怖い。

育てちゃダメなの……。

振り返った先、か細い声で私を呼ぶ、醜い赤――。

 

 

■        ■

 

 

 熱い。熱い。痛いよ。お母さん。

 ジュッ、とした音とともに左目に当てられる痛み、微かに見える蒸気。「育てちゃダメなの。育てちゃダメなの」と繰り返される声。

 次の日、いなくなったお母さんと、左目を包帯で巻いた僕。お前に危害を加えるから、と病院へ入れられたお母さん。

 「みにくくみえる僕のひだりがわ」がお母さんを壊したんだ。目の前にいる親父のせいで。お前のせいで。お前の、おれの、個性のせいで。

 もう誰かを壊すなら、左側なんてなくたって良い。この醜い左側なんて消えてしまえば良い。

 壊すくらいならいっそ、近寄らない方が良い。

 

 

 その日から僕は、幼稚園で友達とあまり遊ばなくなった。近寄られると、お母さんの怒ったような、怖がってるような目を思い出すから。だから僕は、いつも木の下でうずくまって、ぼーっと土を見たり草を振り回してみたりしてる。

 見上げると、木の葉のカーテンが太陽に当たって、綺麗な緑色の影を作る。そんな時期だった。きみに会ったのは。

「ねぇ、きみ。となりいい?」

 

 

◆        ◆

 

 

 こいつが世界をぶち壊したんだ。

 

 

□        □

三、

 

 見上げれば陽光に若葉が透け、ほんのわずかに夏の匂いを感じる季節。ヒーローも敵も個性を持った皆が大嫌いで、一人になりたくて、人気のないお遊戯場の裏手に回ってみた。

 そこは熱くも涼しくもなく、お昼寝するにはちょうど良さそうな場所で。この場所なら、個性のないおれを歓迎してくれるだろうか。なんだかそう思えた。

 そう思ってしまうと足は速く進むもので、気づけば駆け足で大きな木の下を目指していた。

 よく見ると、木の下には体育座りをしてうずくまった紅白頭の少年が、草を持て余している。

 この子もまた個性持ちだろうか。さっさとどこかに行ってくれないかな。

 一気に心に黒い染みが広がる。

おれの居場所を奪わないでよ。

「ねぇ、きみ。となりいい?」

 さっさとどいてくれ。悪意をこめて放った言葉をきみはどう受け取ったのだろうか。

 

 

「えっ、あ……。うん。いいよ」

 戸惑いながら、驚きながら、一瞬体を震わせた彼。律儀にも少し端へ寄った。

 頭頂部で分かれた赤と白の髪、青と黒の瞳。子供特有の柔らかの曲線を描いた頬。なにもかもがちぐはぐなはずなのに整った顔。遠くない未来、彼は異性から持て囃されることを約束されたような、そんな、顔。――不釣り合いな火傷の痕を除いて。

 ありがとう、と前置きしてその子の隣に座る。見たことがないから、違うクラスの子だろうか。

「おれ、さとうれいと。よろしくね」

「……しょうと。とどろきしょうと。よろしく」

 人見知りなのだろうか、俯きながら話すしょうとは、顔を少し赤らめてもじもじしている。なんだかともて可愛らしくて、守ってやりたくなる感じがした。

「珍しい頭の色してるね。個性のせい?」

「…………僕は、あいつとお母さんの個性持ってるから、そのせい」

「じゃあ、その目も?」

 うん、とこくりと頷く彼の目には憎悪と悲しみが混ざっていて。瞳の奥にある暗くて黒い炎に、気がつけば惹かれてしまったんだと思う。

「すごいね。お父さんとお母さん、二人から個性をもらえたんでしょ? 個性って親からもらえる最初のプレゼントだよ? 良いな、おれには、」

 おれには、プレゼントなんてなかったから。二つも貰えたきみが羨ましくて憎くてたまらないよ。

「……でも、個性があったって、お母さんを助けられないんだ。僕ヒーローになりたいのに、お母さんが左側で…………」

 そう言って、肩を震わせて泣く少年はひどく脆く見えた。サラサラと揺れる白い髪と、止めどなく溢れる涙がなんだか宝石のように見えて、とても美しかった。

 彼曰く、左側の炎の個性が彼の母を追い詰め、彼は顔の左に焼け痕を負ったのだ、と。

 持っていてさえすれば振り向かれる個性を二つも持っている彼が、個性のせいで傷ついた。個性のせいで愛されているはずなのに、傷ついた。傷つけられるほどに、彼は両親から愛を注がれているのだろう。

 うらやましい。羨ましい。おれはそこまで振り向かれたことも、個性で振り回されたこともない。

 強い個性故に傷ついてしまったしょうとと、無個性故に振り向かれないおれ。いったいどっちが幸せなんだろうか。

「でも、すごいよ、しょうとは。ヒーローになりたくて、毎日特訓してるんでしょ? おれにはできないや」

 個性もないし、個性を振りかざすヒーローも嫌いだから。

「……毎日つらいんだ。今日も帰ったらまたしゅぎょうがあって。毎日泣いちゃうし、吐いちゃうし。オールマイトをこえるため、っていわれるけど……。僕はあいつの力なしで強くなるって決めたんだ。お母さんの氷の力だけで」

「じゃあ、しょうとはお母さんのために頑張ってるんだ。お母さんのためにヒーローになるんだね。とっても素敵なことだと思うよ。誰かのヒーローになるってことは。しょうとは頑張ってるよ。えらいね。すごい」

 個性故に父を憎み、遠い母を精神の寄り処とする少年の姿は、ひどく脆く危うげに見えた。

 ――この子個性を持っているのに、個性のせいで振り向かれもしないんじゃないか。

 そう思った瞬間、心の奥の黒い吹き溜まりから泥が湧き出してきた。おれより不幸な個性持ちがここにいる。おれより不幸な子が、目の前に。この子の不幸がおれの居場所になる。

 口が歪に弧を描くのを感じた。ああ、今おれは最高のおもちゃを手に入れたよ。まるで心の中の黒い大きななにかが息を始めたように。

「……あのね。しょうと。おれ実は無個性なんだ」

 声が震えていたかもしれない。無個性、と言われることは慣れていても、告白するのは初めてだったから。

「おれには個性がなくて、なんもできなくて。お母さんたちもすごく残念がって、悲しんだんだ。お母さんは、個性があってもなくてもおれはおれ、って言うけど、よくわかんなっくてさ……。個性があって、その力で誰かを助けるヒーローになろうとするしょうとはすごく格好良いと思うよ。毎日頑張ってさ。きっといつかお母さんも褒めてくれると思うよ」

 うらやましいよ、きみが。個性故に傷つけられたきみが。しょうとが、うらやましい。

 そんなことは決して口に出さずに、隣の紅白頭を見た。

 泣きそうな、それでいて涙が落ちるのをこらえているような顔をして、きみは僕と地面の間を彷徨っていた。

「ねぇ、しょうと」

 す、と翡翠の瞳に手を伸ばす。

「ここ、痛い?」

 かさついた色の違う顔の左側。母親の愛情と憎悪が刻み付けられた左側。こんな痕が残されるまでに愛されるなんて。なんて美しく、醜いのだろうか、この少年は。

「……痛くないよ。もう大丈夫」

 おれの手に少し大きな自身の手を重ねて、緩く笑うしょうと。かわいいなあ、なんて少し思った。

「ねぇ、友達になろうよ」

 そう言ったのはどちらだっただろうか。

 きみの個性がうらやましいだなんて、決して言わない。

 

 

□        □

 

 

四、

 

 それから、おれたちはことあるごとに行動を共にした。例えば、外で遊ぶとき。例えば、室内で本を読むとき。朝のあいさつ。幼稚園から帰るときのあいさつはまず最初はしょうとに。修行をしたくないとぐずるしょうとをなだめるのはいつもおれの役目で。お母さんのためにがんばるんだろ?、と優しく声をかけて。

その言葉にこくんと首を動かし、ゆっくりと繫いだ手を離すしょうと。

 ああ、なんてかわいらしくて哀れな生き物なんだろう。彼の隣にいると、おれが不幸でないように思える。誰にも振り向かれないおれに目をくれる、個性で傷ついた男の子。おれよりもかわいそうな男の子。それが、おれにとってのしょうとだ。

 ばいばい、と小さく手を振って、遠ざかるしょうとを見送る。彼は途中で何度もこちらを振り返って、だんだん小さくなってゆく。

 おれがいなければ、あの子は今頃どうなっていただろう。泣きそうな顔をしておれと別れることも、一緒にヒーローの絵本を読むことも、なかったのかもしれない。

 縋るものも知らず、ただ深く傷ついた、個性を持った男の子。とどろきしょうと。かわいそうな、かわいそうな、男の子。おれがいないとダメな男の子。

 心の中の黒い染みがじんわりを大きくなってゆくのを感じる。それとともに、嬉しさでお腹の底が熱くなるのを感じた。

 なんだこれ。すごく、嬉しい。

 ――しょうとは、おれがいなきゃダメな子なんだ。

 

 

「本当に焦凍くんと伶人くんは仲が良いのね」

 なんてない日のこと。二人で双子のねずみがパンケーキを作る話を読んでいたとき。上から降ってきた先生の声。

「……うん。おれたち仲良しだよ。ねっ、しょうと」

「……うん」

 頬を染めはにかみながら頷くしょうとと、黒い心があふれ出しそうになるおれ。おれも今、しょうとみたいに笑えてるかな。

 ねえしょうと。おれがしょうとと一緒にいるのは、しょうとと一緒にいると、おれが不幸にみえないからだよ。しょうとといるとおれが幸せなんだ、って思えるからだよ。おれは愛されてるって少しでも思えるからだよ。おれはしょうとが好きで一緒にいるわけじゃないんだよ。かわいそうで、かわいそうで大好きだから一緒にいるんだよ。

 心の黒い溝の色がどんどん深くなってゆくような気がした。

「しょうと、おれたちずっと一緒だね」

 触った左目の皮膚は仄かに熱く、ざらついていた気がした。

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